非難轟々(解散総選挙)1「やってくれた石破さん」
石破さん、突然の解散総選挙、秋のいい時期ですので運動会やレクなど予定がいっぱい。
それを突然選挙するから中止、これでは納得いきません。
私の娘も結婚式を控えてますが、打ち合わせも延期としなければならず(公務員は保育士でも選挙員として借り出されます)、非難轟々です。
小学校の子どもたちも運動会をやるのが平日しか代替がなく大泣きという事態もいたるところで・・・
まさに前途多難ですが、少し衆議院選挙を遡ってみますと、日本で初めて衆議院選挙が行われたのは、総務省の記録によると約130年前の明治23年(1890年)。大日本帝国憲法のもとで行われ、投票できたのは直接国税15円以上を納める25歳以上の男性だけでした。その後、いわゆる大正デモクラシーの機運の高まりとともに納税の条件は撤廃されていきました。
※受験生は歴史の総復習ですね、しっかり読むといいです。
男女ともに投票できるようになったのは、戦後間もない昭和21年(1946年)4月の第22回衆議院選挙からです。
GHQが主導した民主化政策のもと、女性の参政権が認められました。
この衆議院選挙では466の定員に対して2770人が立候補し、投票率は72.08%。当時のニュース映像では、女性の投票は予想以上に多かったと伝えられ、子どもをおぶった女性がインタビュー取材に答えて「食料不足を解消してほしい」などと語っていました。
投票所では貴重な投票の機会を逃すまいと長い行列ができました。
昭和から平成の初めにかけて、衆議院選挙の投票率は70%前後で推移していました。
※画像:昭和21年(1946年)4月10日 第22回衆議院選挙